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アメリカ史研究会 第 204 回例会

テーマ: ミニ・シンポジウム「第二次大戦後アメリカのナショナリズム」

日時: 2003 年 7 月 5 日(土)14:00 - 17:00

会場: 東京大学駒場キャンパス 10 号館会議室 (3 階 301 号室)

論者および題目:
杉山茂(静岡大学)
 「戦時の公共 / 独立系メディアと歴史家」
上杉忍(横浜市立大学)
 「アメリカの戦争と黒人」
古矢旬(北海道大学)
 「ナショナリズムと反ナショナリズム — 戦後アメリカの場合 — 」

司会・コメンテーター:西崎文子(成蹊大学)

アメリカが、アフガニスタン攻撃に続いてイラク戦争を開始したのをうけて、運営委員会では、アメリカ研究者としてこの状況をどう捉えるかを話し合いたいという声が強まった。シンポジウム「アメリカの戦争とナショナリズム」の企画は、そのような中から生まれたものである。委員会の問題意識に答えてくれたのは、報告者3氏であった。

まず、上杉会員は、イラク戦争に対する黒人の支持率が、湾岸戦争時にくらべて大幅に減少したというデータをもとに、アメリカ黒人にとっての戦争の意味合いの変化を分析した。そして、歴史的に見るならば、戦争は黒人にとって、アメリカ社会の「主流」に参入する大きなチャンスであり、ヴェトナム戦争までは、概して戦時(冷戦を含む)には黒人による人種差別撤廃要求が受け入れられる傾向があったのが、冷戦後にはその状況が変化していると指摘した。つまり、一方で、黒人の成功例も多々あるものの、他方では、貧富の差や人種隔離の再強化がみられ、その中で黒人の自決主義が強まっているのである。しかも、アメリカ軍の中で黒人の占める比率が高いこと、さらに、戦争犠牲者にも黒人やマイノリティの割合が大きいことなどを考えると、「戦争は黒人の社会進出を促進した」といった通説は、もう一度問い直されねばならないと結んだ。

続いて、古矢会員は、9・11同時多発テロ事件からイラク戦争開始に至るアメリカにおけるナショナリズムの状況を、理論的、歴史的な文脈の中で捉え直そうとした。古矢氏は、まず、アメリカのナショナリズム(アメリカニズム)の根底には、抽象的な個人をベースとした憲法体制の尊重という独特の構造があり、そこから、アメリカニズムには、普遍主義と例外主義、上からのナショナリズムと下からのナショナリズムといった二項対立的な表象が生れ易いことを指摘した。さらに、革命期やニューディール期などの「危機」の時代にあらわれたナショナリズムの形態を通史的に分析し、アメリカにおけるナショナリズムの多面性を浮き彫りにしたうえで、現代アメリカのナショナリズムが、自国民の犠牲者を叙述の中心に据えたうえで、経済的な利害と極端な単独主義の追求へと邁進しつつあると論じた。

杉山会員は、9・11後、アフガン戦争からイラク戦争へと一気に突き進んだかのように見えるアメリカにおいても、インターネットを利用した独立ラジオ局やローカルな公共ラジオが多様な声を伝えており、また、それらを海外でも視聴することができるようになったと指摘し、その中のいくつかのプログラムを紹介した。そして、ブッシュ政権に批判的な社会科学・人文学者たちが、そのようなチャンネルを通して発言していることは、グローバリゼーションの一つの形態であると論じた。

イラク状況が次第に混迷の度合いを深めている状況の中でのシンポジウムだったこともあり、フロアからは、理論的枠組みや、アメリカの現状についての質問が多く出され、活発な議論が交わされた。

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2004年09月14日 21:31に投稿されたエントリーのページです。

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