第33回例会のご案内
日本アメリカ史学会会員の皆さま
おしらせが大変遅くなりましたが、下記のとおり第33回例会を開催いたします。前期末のお忙しい時期かとは存じますが、今期最後の例会ですのでどうぞ奮ってご出席ください。また、終了後には恒例の懇親会も予定しております。大勢の皆さまのご参加をお待ちしております。
日時:2015年7月11日(土)14:00-17:00
場所:亜細亜大学(JR中央線武蔵境駅下車徒歩12分)5号館2階526教室
アクセスマップ http://www.asia-u.ac.jp/access/map.html
報告:
大八木豪(東京大学)
「第二次世界大戦後のアジア系アメリカ人の国際主義―
冷戦期の日系アメリカ人の(非)国際主義の考察を中心に」
佐藤夏樹(京都大学・講)
「センサスと『ヒスパニック』の境界―1980年センサスを中心に」
コメント:南川文里(立命館大学)
司会:佐原彩子(大月短期大学)
例会趣旨:
2015年7月例会では、「冷戦期アメリカにおけるエスニック政治・運動と『対外関係』」というテーマで、冷戦期のアジア系アメリカ人やヒスパニックによるエスニック政治および運動と、同時期の合衆国の内政・外交との結びつきについて考察します。冷戦期の国際関係を背景とした移民・短期労働者・難民といった多様な人々の合衆国への流入(または入国に対する規制)が、国内のエスニック集団の「故国」とのかかわりにどのような影響を及ぼしたのか、あるいは出身国や地域の枠組みを越えた集合的なアイデンティティの成立をいかに促したのかといった問題を、実証的な事例分析を通じて問い直したいと考えています。本例会が、移民史やエスニック・ヒストリーとアメリカ政治外交史の接続の可能性についての議論を深める場となれば幸いです。
報告要旨:
大八木豪「第二次世界大戦後のアジア系アメリカ人の国際主義―冷戦期の日系アメリカ人の(非)国際主義の考察を中心に」
本報告は、最初に、第二次世界大戦後、アジア系アメリカ人がどのようにアジアの人々・国々と関係を結び、アメリカ合衆国の対アジア政策に介入しようとしたのかについて考察した報告者の博士論文の概要と、アメリカ史、エスニック・スタディーズ、そしてアジア系アメリカ人研究にまたがる研究史上の重要性について簡潔に論じる。そして次に、事例研究の一つとして、1950年代における日系アメリカ人と日米関係との関係について議論する。
アジア系移民、もしくはアジア系アメリカ人と「母国」の関係については、アジア系アメリカ人史研究者が特に第二次世界大戦前の時代に関して盛んに論考してきたが、本報告は戦後期までその射程を広げながら、日系アメリカ人のディアスポラ的な国際主義をめぐる政治に焦点を当てる。より具体的には、1950年代後半に行われた、日本からカリフォルニアに短期農業労働者を導入するプログラムに対して、冷戦の地政学と戦時強制収容の記憶の中で、日系アメリカ人たちがどのような行動を取ったのかを考察する。本報告は、コミュニティ、アメリカ国内、そして国際関係という複数のレベルにまたがる政治的事象を分析することにより、国境の内外をつなぐ視点からアメリカ史やアジア系アメリカ人の経験に検討を加える諸研究と対話しながら、アメリカ史研究とアジア系アメリカ人研究を国際化・トランスナショナル化する動きを加速させようとするものである。
佐藤夏樹「センサスと『ヒスパニック』の境界―1980年センサスを中心に」
本報告では、ラテンアメリカ系の集団を識別するための質問が初めて設定された1970年センサスから1980年センサスまでの間の議論を検討する。それによって、公的な場において「ヒスパニック」という集団の境界線がどのようにひかれたのか、また集団がどのような存在として定義されていったのか、さらには集団を形成したことで彼らの政治姿勢にどのような変化があったのかを明らかにする。具体的には、「ヒスパニック」と人種・エスニックアイデンティティの問題、非合法移民の問題、そして対ラテンアメリカ外交への関与という三点である。
これまでの「ヒスパニック史」研究はそのほとんどが、メキシコ系やプエルトリカン、キューバ系などヒスパニックを構成する各集団の歴史を並列するものばかりであり、「ヒスパニック」という枠組みや非合法移民問題に対する各集団の意識の違いなどは触れられてこなかった。しかしながら、1980年代以降のアメリカ社会においてヒスパニックが有力なマイノリティ集団として立ち現われていく際に、その内部でどのような意見の違いが存在し、どのような議論がなされたのかを明らかにすることなしに「ヒスパニック史」を語ることはできないであろう。従って、本報告では「ヒスパニック」が形成されていく際の集団間の意識の違いや対立に注目して論を進めたい。「ヒスパニック」という新たなアイデンティティを獲得することが、そうした違いや対立にどのような影響を与えたのかを明らかにすることによって、「ヒスパニック」の成立をより重層的に描き出すことができるであろう。