2019年9月21日(土)、22日(日)の日本アメリカ史学会第16回(通算44回)年次大会プログラムの概要が決定いたしました。奮ってご参加いただけますよう、お願い申し上げます。
日本アメリカ史学会運営委員会
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日時:2019年9月21日(土)、22日(日)
会場:福岡大学
814-0180 福岡市城南区七隈八丁目19-1
連絡先:森 丈夫(mori-tアットマークfukuoka-u.ac.jp)
【1日目 2019年9月21日(土) 】
幹事会 12:00〜13:00
シンポジウムA 13:30〜16:30
「変動する諸国家と北アメリカ先住民」
報告者
森 丈夫(福岡大学)
岩崎佳孝(甲南女子大学)
中野由美子(成蹊大学)
司会
鰐淵秀一(共立女子大学)
コメンテーター
野口久美子(明治学院大学)
総会 17:10〜18:10
懇親会 18:30〜20:30
【 2日目 2019年9月22日(日) 】
自由論題報告 9:30〜12:05
(第1報告9:30〜10:15 第2報告10:25〜11:10 第3報告11:20〜12:05)
第1セッション
塚田 浩幸(東京外国語大学・院)
「広域インディアンの同盟とアメリカにおける十七世紀の危機」
杉渕 忠基(一橋大学・院)
「クー・クラックス・クラン法をめぐる攻防:制定から人身保護令状による救済の一時停止まで」
石田 美香(大阪大学・院)
「沖縄陪審制の実態と功罪」
第2セッション
山﨑 雄史(愛知県立大学・講)
「カリフォルニア日系移民コミュニティにおける階級軋轢とインターナショナリズム:初期社会主義者とフレズノ労働同盟を中心に」
鈴木 俊弘(一橋大学・院)
「『白人至上主義者』の汚名を着る欲望:1931年の『アウグスト・ヨキネン裁判』をホワイトネス研究から解釈する試論」
宮崎早季(一橋大学・院)
「ハワイ日系人の、戦時記憶の想起と忘却」
第3セッション
日野川 静枝(拓殖大学)
「カリフォルニア大学における科学の軍事化の道具立て:外部資金・特許政策・学則No.4の変更」
浅井 理恵子(国學院大学)
「1950年代の女性史再考:『女性軍人に関する国防諮問委員会』と女性の入隊勧誘キャンペーンに関する予備的考察」
藤岡 真樹(京都大学)
「1950年代後半における『アメリカ的生活様式』と『未完の事業』」
昼休み 12:05〜13:15
シンポジウムB 13:15〜16:15
「アジア・太平洋世界における帝国の軍事秩序と社会変容」(仮)
報告者
池上大祐(琉球大学)
伊佐由貴(一橋大学・院)
長島怜央(日本学術振興会PD)
コメンテーター
阿部小涼(琉球大学)
臺丸谷美幸(水産大学校)
司会
丸山雄生(東海大学)
シンポジウムC 13:15〜16:15
「抵抗の場としての『家族』」
報告者
関口洋平(首都大学東京)
山本明代(名古屋市立大学)
小野直子(富山大学)
コメンテーター
岡野八代(同志社大学)
司会
野口久美子(明治学院大学)
【 シンポジウム主旨文 】
シンポジウムA「変動する諸国家と北アメリカ先住民」
本シンポジウムでは、国家という制度的枠組みとの関係を通じた北アメリカ先住民史の諸問題を検討する。より具体的には、北アメリカに存在した諸国家と先住民が取り結んできた関係が、アメリカ合衆国における先住民の位置を考える際にどのような意味を持っていたのかを考えたい。この問題設定は、次のような学説史的な背景を念頭に置いている。1960年代以後、マイノリティに関する歴史研究が重視される中、北アメリカ先住民に関する歴史研究は増大した。ヨーロッパ人による先住民の抑圧に焦点を当てた1960年代-80年代の諸研究に続いて、1990年代以後には、各時期におけるアメリカ合衆国政府の先住民政策の展開とその思想的背景、政策に対する先住民の主体的対応などが明らかにされてきた。そして、このような先住民史研究から、アメリカ史研究は、合衆国の国家と社会の実像をとらえ返す貴重な理解を得てきたのである。
しかしながら、近年のボーダーランド研究や大陸史研究は、先住民が直面した(あるいは先住民に直面した)国家を想定する際、アメリカ合衆国を対象とした従来の枠組みには収まりきらなくなっていることを示唆している。言うまでもなく、16世紀以後、北アメリカ大陸では、イギリスはもちろん、フランス、スペインなどのグローバルな帝国、またカナダ、メキシコなどの帝国の後継国家も勢力を有した。さらに特定の時代においては、イロコイ部族連合やコマンチェ帝国のようにヨーロッパ系諸国家と拮抗しうる先住民国家も存在した。近年の研究は、北アメリカ大陸の先住民は、このような諸国家が競合する中で、それぞれの国家と複雑な関係を取り結んできたことを明らかにしているのである。加えて、ヨーロッパ系の国家の性格についても新たな理解を考慮すべきであろう。近年のヨーロッパ史で提唱されている「複合君主制論」や「礫岩国家論」は、アメリカ大陸に展開したヨーロッパ諸帝国に関する従来の像を大きく塗り替えているし、アメリカ合衆国にしても、「ポストコロニアル国家」として再評価し、イギリス帝国との連続性/断絶性の上で、その領土政策を捉える意見もある。
確かに19世紀末以後、カナダを除けば、北アメリカにおける先住民と国家の関係はアメリカ合衆国へと一元化される。とはいえ、この一元化は、それ以前の先住民と諸国家の関係との連続性や断絶性などの文脈の上でとらえ返す必要があるのではないだろうか。「変動する諸国家」という言葉を用いたのは、このような動態的な歴史として先住民とアメリカ合衆国の関係史を考えるためである。以上の検討を通じて、本シンポジウムは先住民史のみならずアメリカ史に新たな研究視角をもたらす一助となることを願っている。
シンポジウムB 「アジア・太平洋世界における帝国の軍事秩序と社会変容」(仮)
かつてハーマン・メルヴィルは、太平洋を「銀河のような珊瑚礁、低く横たわった無限の未知なる島々、および、測りがたい日本が浮かんで」いると描いた(『白鯨』)。もちろんこの夢のようなイメージは、ヨーロッパ人による16世紀以来の「探検」と征服の歴史が作り出したものである。20世紀転換期になると、太平洋地域は欧米列強によって分割・植民地化され、W・E・B・デュボイスは、この状況と国内での人種差別構造とを重ね合わせて、「20世紀の問題は、皮膚の色による境界線(カラー・ライン)の問題――すなわち、アジア、アフリカ、アメリカ、海洋諸島における肌の色の黒い人種と白い人種との間の関係である」と断じた。以後、日米が激突した第二次世界大戦と、続く冷戦のあいだ、「アメリカの湖」と位置づけられた太平洋地域では軍事力が強化され、さらに米・英・仏の核実験にも見舞われた。
太平洋の軍事化を進めたのは日本も同様である。帝国の一部としての「南洋」支配は1945年に終焉を迎えたが、冷戦以後の新しい世界秩序においても太平洋の軍事化は続いており、日本もその一部をなしている。とりわけ安倍政権下で、集団的自衛権を認める解釈改憲や安全保障関連法制定など、戦争を可能にする体制は着々と準備されている。防衛費は拡大を続け、高額の最新兵器を次々に購入するいっぽうで、沖縄の基地負担は一向に減らず、南スーダンPKOをめぐって明らかになったように、民主主義の根幹たる情報公開はないがしろにされている。米軍との一体化、軍事力強化を進める日本は太平洋のパワーバランスを不安定化させている。
このような現在の太平洋情勢を理解するためには、その歴史的な文脈、とくに帝国とその軍事的プレゼンスが多大な影響を与えてきたことを念頭に置く必要がある。戦争や植民地化が各地で進行した背景には、宣教活動や通商の促進など、帝国が自国の利益を追求したことが大きい。にもかかわらず、国家や地域間の利害調整が政策決定者の間のみで思案され、支配の対象と目された人々の生が軽んじられてきたことも改めて強調したい。帝国の軍事的支配は、その下に置かれた社会や文化そして権力関係を大きく変容させ、人の移動を促進したり、押しとどめたりする要因ともなってきた。この過程で被支配者がおこなった交渉に着目することは、支配が人々のアイデンティティを(再)構築したのかを理解するために重要であり、さらには帝国のありようそのものを問い直す契機となる。このローカルな視座なしに、太平洋世界における帝国の秩序とその支配を再検討することはできない。同時に、デュボイスの指摘に倣って、国内の構造との相似形や差異という視座から検討することも有用だろう。
そこで、本シンポジウムでは、太平洋世界を複数の帝国間の協調・迎合・摩擦の場として捉え、帝国の支配と軍事ネットワークの拡大と変化を、近代から現代まで複数の時代・地域にまたがり、ハードとソフト、マクロとミクロの両面から検討する。
シンポジウムC「抵抗の場としての『家族』」
1970年代以降、歴史学や社会学では近代的な家族的価値観がタブー視される傾向にあった。家族は国家を維持する最小の単位として誕生し、資本主義やナショナリズムを支える統治のためのシステムととらえられてきた。
しかし、寄宿学校や養子縁組制度で破壊されるアメリカ先住民の拡大家族、監獄社会の犠牲となるアフリカ系アメリカ人コミュニティ、そして強制送還におびえるいわゆるドリーマーたちなど、アメリカの国家的政策によって破壊されるのもまた社会的弱者の「家族」であり続けているといえよう。こうして破壊された「家族」とはアメリカ史の中にどのように位置づけられるのであろうか。
本シンポジウムは「抑圧の装置」としての「家族」批判を踏まえつつも、一方で、社会的、人種的マイノリティによる「抵抗の場としての家族」の歴史を掘り起こし、また両者の相互作用をみることで「アメリカの家族」を再考する試みである。
「抑圧の装置」としての近代的家族を批判の俎上にのせたのが第二波フェミニズム運動であることは論を待たない。フェミニズム運動は「近代家族」の暴力性を暴き出し、今日に引き継がれる「多様な家族」の思想的基盤を作った。しかしその運動は、主流派が「多様な家族」を担保するアメリカ的「ネオリベラルな家族」に取り込まれたことで、そこから「とりこぼされた人々」に対する自己責任論を生んできた、という点も指摘できる。
また、近代的家族を争点としてきたのはフェミニズム運動ばかりではない。第二波フェミニズム運動の表舞台に現れることは決してなかったが、それ以前から、国家が要請する「家族」への「抵抗」は確かに存在していた。たとえば、1960年代以降のマイノリティ運動が、広義での「反国家(規律)運動」の色彩を帯びるのであれば、社会的、人種的マイノリティもまた、そうした「抵抗」の担い手となってきたといえよう。
マイノリティ、あるいは社会的弱者にとって、「家族」は「抑圧の装置」であると同時に、「抵抗の場」という二面性を持ってきたし、そうならざるをえなかった。国家的な暴力と排除の理論の中にある彼(女)らにとって、「家族」とは親密圏であり、ケアの場であり、また「国家史」にとりこまれることのない歴史が継承される記憶の場でもあった。
さらに、国家が要請する「家族」にとりこまれることも、そこでの権利要求によって自らの生きる地歩を確保する戦略的な抵抗であった。特に移民の「家族」は「故郷」のジェンダー関係やトランスナショナルな国民像、民族像を体現することで、ジェンダー関係やナショナリズムを再編、再生産する場でもあった。その「家族」はアメリカと送り出し地域双方の「ナショナリズム」が錯綜し、抵抗と強制、包摂と排除という二面性を持つ複雑な場として機能してきたのである。
以上の議論からは、アメリカ主流社会(公的領域)からはじき出された人々の「抵抗の場としての家族」の姿がみえてくる。本シンポジウムでは特に20世紀のアメリカ社会において、「いかなる『家族』が理想とされ、その先にどのような国家像が見据えられていたのか」、一方で「そうした国家像から外れたマイノリティや弱者の『家族』はいかなる形で維持、変質、強化されたのか」、そして、こうした「『抵抗の場としての家族』はアメリカの『家族』をいかに変え、あるいは変えられなかったのか」という点について考えてみたい。