2021年9月11日(土)・12日(日)に開催される、日本アメリカ史学会第18回年次大会のプログラム概要(暫定版)は以下の通りです。新型コロナ感染症の感染状況に鑑み、昨年同様オンライン開催となります。参加手続き・オンライン開催関係事項等については、後日お知らせします。皆様の積極的なご参加をお待ちしております。
日本アメリカ史学会第18回年次大会 プログラム概要(暫定版)
日時:2021年9月11日(土)・12日(日)
会議プラットフォーム:zoom
9月11日(土)
幹事会 11:30〜13:00
シンポジウムA 13:30〜16:30「アメリカ史研究と隣接諸社会科学の対話」
報告者:
川島浩平(早稲田大学)
小野直子(富山大学)
大野直樹(京都外国語大学)
コメンテーター:土屋由香(京都大学)
司会:佐々木豊(京都外国語大学)
総会 17:00〜18:00
9月12日(日)午前
自由論題 10:00〜11:40(第1報告10:00〜10:45 第 2報告10:55〜11:40 )
第1セッション
秋山 かおり(日本学術振興会特別研究員PD・沖縄大学)
ハワイ準州における戦争捕虜のエスニック・グループ別利用―1944‐1946年―
田渕有美(大阪大学)
米国宇宙政策黎明期におけるNASA設立とPSACの関係
第2セッション
天野由莉(ジョンズホプキンズ大学・院)
“She Willingly Consented”: アンテベラム期「南部医学」の精神的成り立ち
今井麻美梨(立教大学・院)
19世紀アメリカ公共圏の再編と「リスペクタビリティ」―市民としてふさわしい、振る舞いと美徳
9月12日(日)午後
シンポジウムB 13:00〜16:00「アメリカ帝国/植民地主義再考―軍事主義・環境・市民権―」
報告者:
阿部小涼(琉球大学)
西 佳代(広島大学)
金澤宏明(明治大学)
コメンテーター:岡田泰平(東京大学)
司会:池上大祐(琉球大学)
シンポジウムC 13:00〜16:00「白人至上主義をめぐる歴史と歴史認識」
報告者:
加藤(磯野)順子(早稲田大学)
川浦佐知子(南山大学)
落合明子(同志社大学)
コメンテーター:和田光弘(名古屋大学)
司会:黒﨑真(神田外国語大学)
[シンポジウム趣旨文]
シンポジウムA 「アメリカ史研究と隣接社会諸科学の対話」
本シンポジウムでは「アメリカ史研究と隣接社会諸科学の対話」というテーマの下、アメリカ史研究と政治学・国際関係論・社会学などの社会科学の専門分野(ディスシプリン)との間で、どのような実りある統合が可能であるのかという点について検討することを目的とする。
一般に、歴史学と政治学を初めとする隣接諸科学の間には、歴史現象を扱う際、方法論的にも認識論的にも、異なるアプローチをとることが指摘されてきた。つまり、単純化して言えば、歴史学においては、一次資料を広範に渉猟して掘り起こしつつ、特定の事例に没入して緻密な分析を行う(その意味で、過去の出来事は単に何かの事例というよりも、それ自体が主題となる)ことを通じて歴史的事象の個性を捉える“個別記述的手法”が取られるのに対し、社会諸科学においては、ある程度時間と空間を超越した人間の行動に関する一般理論を構築することに主眼が置かれ、個別事例研究はそのための手段として位置づけられる傾向が見られると言えよう。
このように歴史学と隣接社会諸科学の間には、それぞれの学問分野の固有の“作法”に基づく相違がある一方、歴史学者が個別事例研究に従事する際には、社会科学者による理論的成果を明示的に参照することはあまりないとはいえ、人間行動に関する何らかの一般理論を前提として説明に盛り込んでいると言えるのではないのか。逆に、一般理論化を指向する社会科学者の方でも、一次資料調査に基づく事例研究を重視した上で理論を検証する手続きを重視する傾向も指摘されている。
そこで本シンポジウムでは、時代的にもテーマ的にも限定されたアメリカ史研究を実践しつつも、隣接諸社会科学分野にも精通されている三人の研究者の方にご登壇頂き、アメリカ史研究と社会科学研究の間でどのような生産的な対話が可能なのか、ご自身の研究に照らし合わせつつご報告頂く。具体的には、スポーツ史と人類学、女性史とジェンダー論、政治外交史と国際関係論/政治学の各領域に焦点を当てた報告をお願いする。その際、歴史研究者が理論的インプリケーションのある研究をするという問題に限らず、社会科学の理論から示唆を得たアメリカ史研究の成果とか、アメリカ史の中で社会科学が形成される歴史的・制度的背景を探るとか、多様な切り込みから「アメリカ史研究と隣接社会諸科学の対話」の現状と課題を探ることにしたい。
シンポジウムB 「アメリカ帝国/植民地主義再考―軍事主義・環境・市民権―」
2019年8月15日付けのグアムの地元紙Pacific Daily Newsに、「マーシャル諸島民、ビキニ環礁の名をとって命名されたビールを受け入れらないと述べる」という見出しで始まる記事が掲載された。同記事によれば、テキサス州ダラスに立地する「マンハッタン計画ビール醸造会社(Manhattan Project Beer Company)」が自社ビール商品名に、「ビキニ環礁(Bikini Atoll)」と名付けて販売したことに対して、マーシャル諸島島民やほかの太平洋諸島島民から批判されている、とのことであった。ほかにも、“Plutnium239”や“Hoppenheimer”といった「核開発」を想起させる商品を製造販売している同醸造会社は、マーシャル諸島における核実験を世界史的に重要な出来事としてとらえることを意図していて、矮小化するつもりはなかったという言い分を披露したという。
この事例は、「アメリカ本土」が核実験によって島嶼に生きる人々を苦しめ、地域環境を破壊してきたことをいかに忘却してきたか、いかにその暴力に無自覚でいたかということを浮き彫りにする。軍事ジャーナリストの前田哲男は戦後太平洋における欧米諸国による核実験の歴史を「核の植民地主義」という概念でとらえ、冷戦を背景とした「東西」対立の視点だけではなく、植民地支配の歴史に付随する「南北」格差の視点の必要性を強調する。戦後アメリカは、グローバルな軍事基地ネットワーク形成をもとにした「基地の帝国」(チャルマーズ・ジョンソン)としてふるまうなかで核戦略をもそこに組み込ませてきた。しかし、アメリカ帝国/植民地主義の登場は、19世紀末のハワイ併合や、米西戦争後のいわゆる「海の西漸運動」によるカリブ海のプエルトリコ、太平洋のグアムフィリピンの領有を起点とする。さらに「国内植民地」という視点からは、19世紀に通底する「陸の西漸運動」に伴うインディアンの強制移住と土地接収にまでその起点を求めることもできよう。
したがって、アメリカ帝国/植民地主義を、陸・海の両面から観察するためには、地域社会内部の矛盾や不条理を追求してきた「社会史」/「政治史」の視点と、外部へ展開していくことを従来描いてきた「外交史」/「対外関係史」の視点との接合を目指す必要がある。A・G・ホプキンズの新著American Empire(2018)は、「島嶼帝国Insular Empire」という概念をつかって、太平洋においてはハワイとフィリピン、カリブ海ではキューバとプエルトリコに注目して、現地の社会構造、経済・通商関係、政治的地位をめぐる動向(ハワイは「州」、フィリピンは「独立」、キューバは「保護国」、プエルトリコは「コモンウェルス(自治領)」と、それぞれの「植民地以後」の政治的地位が異なる)を詳述するとともに、それがアメリカ本土内の政治・社会(例えば黒人公民権運動)とどう絡んだのかという点も論じている。こうした視点は、米軍基地の過度なプレセンズによって地域社会への事件・騒音・有害汚染物質の流出が頻発している沖縄の現状に目を向けていくことにもつながるであろう。
以上の問題意識と研究動向を踏まえて、本シンポジウムでは「アメリカ帝国/植民地主義」を、島嶼地域社会とのかかわりから再検討していく。具体的には、沖縄(およびプエルトリコ)、グアム、ハワイを対象として、軍事主義ネットワーク、環境政策、政治的地位(市民権構造)をキーワードにしながら、周縁/境界の視点から、〈アメリカ〉を再構築するための一助としたい。
シンポジウムC「白人至上主義をめぐる歴史と歴史認識」
現在アメリカでは、「ブラック・ライヴズ・マター」の高まりを受け、黒人や先住民や他のマイノリティだけでなく、白人も含め、白人至上主義の歴史と現在を根本から問い直し、克服していこうとする積極的な取り組みがかつてない規模で起きている。その際、問われている白人至上主義の射程には、白人が非白人より優れているという意識だけでなく、社会、政治、経済に組み込まれ白人に有利に働く制度、およびそれらを支え正当化する文化的規範までが含まれる。アン・ローラ・ストーラー(2002)によれば、白人至上主義は、「他者」 への恐怖、東洋人や黒人による性的攻撃からの白人女性保護への執念として現れたという。しかし、それはヨーロッパ支配と白人至上主義の単なる正当化ではなく、高い階級意識にもとづいた論理の一部であり、異議を唱えるヨーロッパ人下層に的を合わせた指令であった。ストーラーが対象としたのはオランダ領バタヴィアであったが、舞台を英領アメリカ(以降)に移しても、白人至上主義にはジェンダーと階級が非常に大きな要素であり続けたことは明らかである。
人種・階級・ジェンダーが複雑に絡み合った白人至上主義を問い直す動きも、当然ながら単純に進むわけではない。たとえば、白人至上主義の象徴という理由から、南部連合を顕彰する記念碑や銅像の撤去、またラシュモア山の4人の大統領の彫像や西部開拓と関連する記念碑の撤去を求める動きがある。これは、アメリカがより公正な社会を築きながら国民統合を実現するために、公共空間においていかなる歴史認識が適切なのかを、あらためて問う動きといえる。しかし、撤去すべき記念碑や銅像の選定、撤去した記念碑や銅像の扱い方、新たな記念碑や銅像の建立などをめぐっては、非白人内部と白人内部、また連邦・州・郡レベルでさまざまな議論があり、政策に移される過程では、多様な利益集団による衝突と妥協が起きている。
このことから、白人至上主義の歴史と現在を問い直す際に必要なことは、白人至上主義が「維持される/克服される」「強化される/弱体化される」背景には何があるのかにとどまらず、その一筋縄ではいかない歴史を丁寧に追うことであろう。平野克弥(2020)が述べるには、「普遍的な規範によって例外的な存在を生み出し、それを絶対的な支配関係のなかに放置する状態が差別であり・・・それゆえに差別は常に心理的・物理的暴力を伴っている」。このことをアメリカ史に当てはめるならば、白人至上主義が「維持されつつ克服される」という一見矛盾した状態を見定めて、その歴史的起源や展開を丁寧に追うことが、我々には問われているのではないだろうか。
そこで本シンポジウムでは、アメリカにおいて白人至上主義が辿った複雑な過程について事例研究を通して考察したい。まず、白人対非白人の二項対立として捉えがちである「白人至上主義」は、どのような状況において「どの白人」が至上であるための思想として誕生したかという歴史的背景を、改めて19世紀アメリカに探究する。次に、19世紀後半、西部が合衆国へと編入されていく過程における、先住民土地の剥奪を検討することで、土地・資源開発の根底に横たわる構造的な人種差別を考える。最後に、ポスト市民権運動時代の南部、とりわけリッチモンドに焦点を当て、黒人の地位が全体的に向上したにもかかわらず、白人至上主義の象徴たる南部連合像の撤去が遅々として進まなかった要因を、当時の時代的な文脈や人種の記憶を巡るポリティクスから探る。