日本アメリカ史学会第19回年次大会 プログラム(暫定版)
会員各位
日本アメリカ史学会第19回年次大会は、2022年9月17日(土)・18日(日)に大妻女子大学千代田キャンパスにて開催されます。本大会は、会場での対面のみでの実施予定です。新型コロナウイルスの感染状況によってオンラインとなる場合は、メーリングリストやHPでお知らせいたします。本大会のプログラム概要(暫定版)は以下の通りです。
(当初掲載したものに訂正箇所がありましたので、修正いたしました。ご了承ください。)
日時:2022年9月17日(土)、18日(日)
会場:大妻女子大学千代田キャンパス
〒102-8357 東京都千代田区三番町12番地
連絡先 佐藤円 mdsato(アットマーク)otsuma.ac.jp
1日目 2022年9月17日(土)
幹事会 12:00〜13:00
シンポジウムA 13:30〜16:30
「セトラー・コロニアリズムと向き合うアメリカ先住民——その歴史と現在」
報告者:
野口久美子(明治学院大学)
佐藤 円(大妻女子大学)
四條真也(関東学院大学)
コメンテーター:石山徳子(明治大学)
司会:飯島真里子(上智大学)
総会 17:00〜18:00
(懇親会は実施しません)
2日目 2022年9月18日(日)
自由論題報告 9:30〜12:10
(第1報告 9:35-10:10 第2報告 10:15-10:50 第3報告 10:55-11:30 第4報告11:35-12:10)
報告者:
宗像俊輔(法政大学・講)
「労働者の視点から捉え直す鉄道敷設の実態——セントラル・パシフィック鉄道のペイロールを手掛りにして」
大森万理子(広島大学)
「1910年代〜1920年代カリフォルニア州におけるホームティーチャーの家庭訪問——移民住居委員会による子ども対応に焦点をあてて」
尾身悠一郎(一橋大学)
「イラン革命、ソ連のアフガニスタン侵攻とドルの危機——エネルギー・通貨・金融をめぐる米ソ冷戦」
吉田梨乃(一橋大学・院)
「美しさのヴェールに隠された『野蛮さ』——奴隷制の博物館展示と集合的記憶」
司会:小野直子(富山大学)
シンポジウムB 13:30〜16:30
「「黒人自由闘争」を再考する——BLM運動からの視座」
報告者:
荒木圭子(東海大学)
山田優理(カリフォルニア大学ロサンゼルス校・院)
藤永康政(日本女子大学)
コメンテーター:高内悠貴(弘前大学)、川島正樹(南山大学)
司会:土屋和代(東京大学)、山中美潮(上智大学)
シンポジウムC 13:30〜16:30
「アメリカの「対テロ戦争」とは何だったか?」
報告者:
島村直幸(杏林大学)
森川智成(金沢大学)
村田勝幸(北海道大学)
コメンテーター:佐原彩子(共立女子大学)
司会:佐藤雅哉(愛知県立大学)
【シンポジウム趣旨】
シンポジウムA
「セトラー・コロニアリズムと向き合うアメリカ先住民——その歴史と現在」
アメリカ合衆国において2020年以降猖獗を極めた新型コロナウイルス感染症は、社会的マイノリティの間でより深刻な被害をもたらしてきたが、そのうちアメリカ先住民の状況は際立っていた。一例を挙げれば、アメリカ疾病予防対策センターが2021年2月に公表した統計によると、アメリカ先住民の新型コロナウイルス感染症による死亡率は人口10万人あたり256人にのぼり、それは白人やアジア系と比較すると2.5倍というあらゆるマイノリティ集団のなかでも最も高い数字であった。このような新型コロナウイルス感染症による被害は、アメリカ先住民による自治が認められている保留地の多くにおいてさらに著しかったが、それは一般に保留地が人口の少ない過疎的な地域にあり、経済的に貧しく、社会的インフラが整っておらず、医療体制も脆弱であることが背景となっている。このようなアメリカ先住民の窮状は、いかに彼らが現在でも社会的に周縁化された存在であり続けているのかを改めて人びとに認識させることとなった。
さて、主流社会から排除されながら支配され、またしばしば搾取される国内植民地的状況を抱えながら生きてきたアメリカ先住民について検討する際に、その分析枠組みとしてセトラー・コロニアリズムという概念が、特に2000年代以降積極的に使われるようになった。このセトラー・コロニアリズムは、旧来からの宗主国と植民地という関係性に基づく植民地主義概念では必ずしも捉えきれなかった、人の移住とその移住先での定住、そしてそれが生みだす支配体制や支配関係を説明する概念であり、一般的には、よそからやって来た入植者たちが移住先に住み着き、その土地に暮らしてきた先住民の抹殺や空間的な排除、そして不可視化を戦略的に推し進めることで新国家を建設し、入植者たちによる支配体制を発展、拡大させてきた歴史プロセスと、現在でも継続している植民地主義の影響力を説明する際に使われてきた。そのため、植民地状態から脱して、その土地にもともと住んでいる人びとによる独立国家が形成された地域よりも、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどといった、入植者による国家が形成され、彼らが社会的支配者として主流を占めてきた地域の歴史や現状を説明する際に最も頻繁に用いられてきた。しかし近年、帝国主義的膨張主義の文脈で展開される移民研究においてもセトラー・コロニアリズムを用いた議論が盛んになるにつれて、このような分析対象や地域についての限定は取り払われつつある。またその一方で研究の進展は、そもそもこの概念がどのようなものを意味するのかについても、例えば代表的なセトラー・コロニアリズム研究の理論家ロレンツォ・ヴァラシニ(2011)のように、セトラー・コロニアリズムは旧来の植民地主義とは単に異なるだけではなく、時に相反する構造をもつものであるという主張もあれば、アメリカ先住民史研究者のナンシー・シューメイカー(2015)のように、セトラー・コロニアリズムはあくまで広い意味での植民地主義の一形態と見なすべきであるという主張があるように、研究者やその研究対象による解釈の違いも生みだしている。
以上のように現在セトラー・コロニアリズムは、研究で適用される地域や対象も、またその解釈も多様なものになっているが、日本においては依然としてこの概念そのものの社会的認知が進んでいないように思われる。それは、いまだにセトラー・コロニアリズムという用語の訳語が「入植者植民地主義」「開拓者植民地主義」「定住型植民地主義」などと定まっていないことからも窺える。そこで本シンポジウムでは、これまで入植者が創り上げた支配構造と向き合いながら生き抜いてきたアメリカ先住民が抱える諸問題の歴史と現状について研究してきた三名が報告を行い、それぞれの論点とセトラー・コロニアリズム論との接続の可能性についても検討していきたいと考えている。報告では、まず歴史学の立場から野口久美子氏が、アメリカ先住民社会における貧困を1934年に制定されたインディアン再組織法以後の連邦先住民政策から解き明かし、現代のアメリカ社会における排除の理論に位置づける。続いて同じく歴史学から佐藤円氏が、先住民社会が歴史的に内面化してきた主流社会の人種主義について、チェロキー・ネイションの市民権資格をめぐる論争を通して検討する。その上で文化人類学の立場から四條真也氏が、現代のハワイ先住民社会における西洋由来の土地利用と伝統的価値観の相克と接合をめぐる議論について、フィールドワークで得た知見をまじえながら報告することで、歴史学における議論とアメリカ合衆国本土に焦点を当てた研究の相対化を試みる。これらの報告を受けて、これまでセトラー・コロニアリズム論の視点から現代のアメリカ先住民社会が抱える問題について精力的に研究成果を発信してきた地理学の石山徳子氏がコメントを行う。
シンポジウムB
「「黒人自由闘争」を再考する——BLM運動からの視座」
21世紀のブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動は、クイアを含む黒人女性が共同創設し、緩やかな連帯のもとソーシャル・メディアを駆使し展開した点で、半世紀前の黒人自由闘争とは異なると指摘する声がある。しかし、20世紀の黒人自由闘争においても、ジェンダーとセクシュアリティに基づく差別に向き合い、トップダウン型ではなく下からの組織運営を目指した活動家も存在していた。たとえば、エラ・ベイカーは、学生が発言しやすいより開かれた組織を目指して、学生非暴力調整委員会の設立に力を注いだ。BLM運動の共同創設者の一人であるアリシア・ガーザが「オフラインで連帯して運動を起こすことが、必要な変革を遂げるための唯一の道なのだ」と語るように、BLM運動はハッシュタグによって突如生まれたものではない。過去から現在に至るまで繰り広げられてきたストリートでの闘いとSNSでの運動の繋がりにこそ、目を向ける必要があるだろう。
奴隷制下から今日まで続く黒人の身体に対する暴力を問い、同時に「ポスト公民権期」に拡大した大量投獄社会の問題に照準をあてるBLM運動の展開を踏まえたとき、黒人自由闘争のどのような特徴が浮かび上がるのだろうか。「過去」と「現在」はいかに繋がっているのか。闘争のあり方はいかに変遷を遂げたのだろうか。
黒人自由闘争の歴史は、ジャックリーン・D・ホールらによる「長い公民権運動(ないし黒人自由闘争)」論、ジーン・シオハリスやアシュリー・D・ファーマーらによるジェンダーと人種の力学の交差性を論じたもの、ヘザー・アン・トンプソンらによる北部での闘争に関する研究、ロビン・D・G・ケリーやタニシャ・C・フォードらによる文化研究との接続、ケヴィン・ゲインズらによる世界史的視座からとらえるもの、エリザベス・ヒントンらによる大量投獄社会の形成との関係に焦点をあてたものなど、様々な視点から再検討されてきた。黒人自由闘争、黒人解放運動、公民権運動、市民権運動といういくつもの呼び名・訳語も、黒人たちの闘いに対する多様な視座を表していると言えるかもしれない。
本シンポジウムはこうした近年の研究動向をふまえ、BLM運動を視野に入れつつ、黒人自由闘争の歴史をあらためて問い直すことを試みる。報告者に荒木圭子氏、山田優理氏、藤永康政氏、コメンテーターに高内悠貴氏、川島正樹氏をお招きし、歴史学を軸に据えつつ、アフリカン・ディアスポラ研究、文化研究、ジェンダー研究など様々な視点から黒人自由闘争の歴史を再考する。
シンポジウムC
「アメリカの「対テロ戦争」とは何だったか?」
昨年八月、米軍は混乱とともにアフガニスタンから撤退した。9/11事件から二十年、ブッシュ政権が開始した「対テロ戦争」は一つの区切りを迎えたようにみえる。では、「対テロ戦争」をどう捉えることができるのだろうか。
近年、歴史家の手によって、当該時期のアメリカ社会の検証が進みつつある。John Bodnerは近著Divided by Terror (2021)のなかで、多くのアメリカ人は9/11事件という未曽有の危機に対して、「軍事的愛国主義」と「共感的愛国主義」という二つの異なる愛国主義で応答したことを指摘するとともに、アメリカの政治と社会は愛国主義や忠誠の意味と理想、およびその発露の方法と方向性をめぐって深刻な分断を経験したと論じた。一方、アメリカにおける拷問の歴史を追ったW. Fitzhugh Brundage (2018)は、拷問に関する思想と実践がベトナムの戦場からシカゴ市警、さらにはイラクおよびグアンタナモへと継承される様相を描いた。これらの歴史家の仕事は、「対テロ戦争」が対外介入であったと同時に国内的なものでもあり、二つの戦線は相互に連関したものだったことを再認識させる。
9/11事件から現在までに、合衆国はアフガン&イラクと二つの大きな戦争を経験する一方で、国内でも激動とも称されうる経験をした。とりわけ、トランプ政権の誕生とその後の四年間の「衝撃」は記憶に新しい。この間、イスラム諸国からの入国禁止やメキシコ国境の壁の建設といった政策が、テロリストを含む「脅威」から国民を守るとの呼び声のものとで進んだ。ブラック・ライブズ・マター運動の展開の直接の契機となった警察の暴力の問題もまた、「対テロ戦争」下で促進された監視国家の出現と無関係ではなかろう。外交面では、中国やロシアが新たな「脅威」として再同定され、対外政策の軸足がアジアへと移されつつある現状とはいえ、テロを「脅威」とみなす認識とその認識に基づく政策は容易には無くならないであろう。
そうであるならば、今後を見通すためにも、「対テロ戦争」の展開はアメリカの社会と外交にどのような影響を与えたのかを再検証することが必要ではなかろうか。そこで本シンポジウムでは、「アメリカの「対テロ戦争」とは何だったか」と題した企画を執り行う。アメリカ外交およびアメリカ社会・文化の専門家をお招きし、さまざまな角度から、また長期的な視野から、当該テーマを検証する。