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2023年06月 アーカイブ

2023年06月05日

日本アメリカ史学会 第20回年次大会プログラム

会員各位

2023年9月16日(土)・17日(日)に開催される、日本アメリカ史学会第20回年次大会のプログラム概要(暫定版)が決定しましたのでお知らせいたします。皆様の積極的なご参加をお待ちしております。

日時 2023年9月16日(土)・17日(日)

会場 北海学園大学(札幌市豊平区旭町4丁目1番40号)

連絡先 大森一輝(omoriアットマークhgu.jp)
開催方法 会場での対面方式のみ


2023年9月16日(土)
幹事会 12:00〜13:00

シンポジウムA 13:30〜17:00
「アメリカ史におけるポピュリズムの伝統」
報告者:
 小原豊志(東北大学)
 肥後本芳男(同志社大学)
 山本貴裕(広島経済大学)
コメンテーター:
 古矢旬(北海道大学名誉教授)、櫛田久代(福岡大学)
司会:中野博文(北九州市立大学)

総会 17:15〜18:15
懇親会 18:30〜20:30

9月17日(日)
自由論題報告 9:30〜11:30
(第1報告 9:35〜10:10 第2報告 10:15〜10:50 第3報告 10:55〜11:30)
第1セッション
﨑山みき(一橋大学・院)
「第一次世界大戦下の銃後の食糧保存運動と家政学者――米国国立公文書館における食糧庁記録群に着目して」
丸山実里(一橋大学・院)
「第一次世界大戦下のアメリカにおける『敵性外国人』政策」
繁沢敦子(神戸市外国語大学)
「ジョン・ハーシー『ヒロシマ』前後の『ニューヨーカー』誌と検閲――ダニエル・ラングの核関連報道を中心に」

第2セッション
阿部純(東北大学・院)
「日系人強制収容をめぐる裁判闘争――ホーリ訴訟における戦時経験と『クラス』に注目して」
竹野貴子(椙山女学園大学・講/国立国会図書館調査員・非)
「アメリカ地方政府の『外交』――気候変動緩和に向けた取組に着目して」

シンポジウムB 13:00〜16:00
「アジア系移民は『セトラー』なのか――植民地主義、戦争体験とその記憶化」
報告者:
 秋山かおり(国際日本文化研究センター)
 新井隆(東洋大学・講)
 和泉真澄(同志社大学)
コメンテーター:
 今野裕子(亜細亜大学)
司会:長島怜央(東京成徳大学)

シンポジウムC 13:00〜16:00
「ケアのアメリカ史――パンデミック期を経て再考するケア」
報告者:
 松原宏之(立教大学)
 畠山望(湘北短期大学)
 西﨑緑(熊本学園大学)
コメンテーター:
 平体由美(東洋英和女学院大学)
司会:小野直子(同志社大学)・山中美潮(上智大学)


[シンポジウム趣旨文]
シンポジウムA
「アメリカ史におけるポピュリズムの伝統」
 21世紀はじめの四半世紀をポピュリズムの時代と言う人々がいる。様々な国や地域に現れた人種差別や移民排斥などの動きが、ポピュリズムという言葉で説明されるようになり、現代社会の時代的特徴とさえ考えられるようになっているのである。また歴史研究においても、アメリカ合衆国の歴史を通貫する文化のひとつとして、ポピュリズムに関心を持つ人々が現れている。このシンポジウムは、こうした近年の動向を踏まえて、ポピュリズムという概念でアメリカ史を把握することの意義と課題を論じるものである。
 周知の通り、ポピュリズムという言葉はアメリカ合衆国で生まれたものである。横山良氏の研究で明らかにされたとおり、それは19世紀末の人民党運動を由来とする。人民党運動を大文字のPのポピュリズム、人民党以外の歴史事象に現れたポピュリズム的なものを小文字のpのポピュリズムとして使い分けることも、ポピュリズム史研究ではよく見られるようになっている。
 今日のポピュリズムは、社会に亀裂を生み、人々の対立を増幅させる大衆運動を指すことが多い。社会抗争はアメリカ史研究で重視されてきたトピックであり、多くの優れた研究を生みだしている。初期アメリカの分野では人種やジェンダーなどをめぐる差別や抑圧に注目して、1970年代に隆盛した共和主義解釈に対抗する新しいパラダイムを創りあげてきた。ポスト共和主義とも呼ばれる、そうした立場の代表者はアラン・テイラーである。彼の歴史解釈は、21世紀のポピュリズム時代に見られる社会的分断や暴力性を、植民地期や建国期の歴史にみいだしたかのような側面がある。
 ロナルド・フォルミサノやジェームズ・モローンも、現在のポピュリズムの淵源を探って、建国以来のアメリカの歴史を見直した。彼らの研究は、ポピュリズムを、自由主義や共和主義とならぶアメリカ史の伝統の一つとして捉えようとする試みといえよう。
 このシンポジウムでは、そうした研究を踏まえたうえで、アンテベラム期の報告を三つ立てることにより、植民地期以降、今日に至るまでのポピュリズム現象の深層を読み解いていく。一八一二年戦争から南北戦争に至るまでを、アメリカ・ポピュリズムの基層の一つが創造されたと時期と捉えて、ポピュリズムとは何なのかを考察したいのである。
 ポピュリズムとは、大づかみに言うなら、「人民」理念を掲げて賛同者を結集させ、敵対する者を暴力に訴えてでも排斥するものである。人民理念と言い、人々の結集と排斥のかたちと言い、アメリカ史の文脈に沿って立ち入った分析をしなければ、ポピュリズムを歴史研究として明確に理解したことにはならない。
 本シンポジウムが対象とするアンテベラム期は、州政府、連邦政府がともに制度的に整備されていく時期である。ポピュリストの掲げる反政府主義の深層を考えるうえで、政府機構の発展期であったアンテベラム期は興味深い事例を示してくれる。参加者との議論を通じて、アメリカ・ポピュリズムについてのみならず、アンテベラム期の歴史像の理解も深めることを願っている。

シンポジウムB
「アジア系移民は『セトラー』なのか――植民地主義、戦争体験とその記憶化」

 本シンポジウムでは、昨年度の年次大会シンポジウムA「セトラー・コロニアリズムと向き合うアメリカ先住民―その歴史と現在」にひき続き、セトラー・コロニアリズムの議論を出発点の一つとして、ハワイやマリアナ諸島などの島嶼地域における先住民、及び北米(ハワイを含む)日系・沖縄系移民を中心としたアジア系移民の戦争体験の歴史と記憶構築に関する再検討を行う。前回のシンポジウムでは、「セトラー」が入植・定住した土地における先住民の主権や先住性を強調したセトラー・コロニアリズム論は、必ずしも先住民研究が提示する視点と一致するものではないことが指摘された。一方で、セトラー・コロニアリズムを分析枠組みとして共有することで、先住民研究を黒人研究、移民・エスニック研究やポスト・コロニアリズム研究など異なる研究分野と接続する可能性があることも議論された。
 以上の議論を受け、本シンポジウムでは19世紀末のアメリカが大陸及び海洋帝国として拡張していくなか、自己決定権や主権を奪われ、自らの土地において貧困や社会的不平等に苦しむこととなった先住民と、そのような地域に移住してきたアジア系移民との関係性に着目する。具体的には、第二次世界大戦中、北米やハワイで収容された日系・沖縄系移民の戦時体験及びマリアナ諸島の戦跡を中心とした空間形成について、日米帝国による植民地主義の文脈から考察するだけではなく、先住民との複雑な関わりから検討する。
 さらに、このような地域では1960年代以降になると、公民権運動の影響を受けつつ文化復興運動や自己決定権・主権を求める先住民の運動が行われるようになった。主流社会への同化を志向するのではなく、植民地支配に関連した歴史的不正義を追及しつつ、「先住民」としての独自の地位を求める人びとが現れたためである。先住民運動は政府や主流社会をも動かし、植民地化や同化政策についての謝罪や補償を協議・実現してきた。このようなポストコロニアル文脈において、アメリカ政府による強制移住・収容の「犠牲者」となった日系・沖縄系の体験と歴史はどのように関わるのかも本シンポジウムで考察する問いであり、それはまさにセトラー・コロニアリズムの問題を問うものである。特に、2000年代後半からは、ハワイやグアムの先住民の学者/活動家が中心となり、先住民以外の人びとを入植者(セトラー)と認識し、欧米系だけではなくアジア系移民も土地や経済を独占し、先住民を排除してきたとする「アジアン・セトラー・コロニアリズム論」が台頭してきた。つまり、「アメリカ帝国」におけるアジア系移民の戦争体験の記憶化は、欧米系白人国家アメリカの犠牲者という一枚岩的理解から脱却し、複数の人種・エスニック集団・帝国が絡み合う支配権力構造の中で再検討される必要が出てきているといえる。また、マリアナ諸島に関しては「先住民の戦争体験」を記憶化する過程で、アジア系移民を含む人々の移動がどのように関わっていたかという分析・考察を行うことにより、セトラー・コロニアリズム論を再検討することが可能となる。
 以上の議論は、アメリカ史研究におけるアジア出身の移民とその子孫の位置づけを考えるうえでもクリティカルな含意を持つ。近年、太平洋島嶼地域の先住民も含めて「アジア系アメリカ人および太平洋諸島出身者(Asian Americans and Pacific Islanders=AAPI)」や「アジア系アメリカ人、ハワイ先住民(Native Hawaiians)および太平洋諸島出身者(AANHPI)」が使用されるようになったが、この人びとの歴史において、アジア太平洋島嶼地域における「セトラー」たちと先住民が重ねた植民地主義・帝国主義・戦争の経験と記憶をどのように反映させるかも問われている。
 本シンポジウムは三報告から構成され、和泉報告では先住民と北米日系人の戦時体験(収容・強制移動)を先住民との関係性から検討し、「セトラー」概念の有効性と限界について明らかにする。秋山報告では、ハワイのホノウリウリ収容所跡地のアメリカ国立史跡化を事例に、かつてのハワイ先住民の土地をめぐる「歴史認識ポリティクス」を強制収容経験、ハワイ型セトラー・コロニアリズム理論、沖縄系移民のダブルマイノリティの理論を踏まえて検討する。新井報告では、マリアナ諸島(グアム・サイパンを中心に)における戦跡の残され方に着目し、先住民の戦争体験の記憶化とともに、その過程におけるアジア系移民などの「セトラー」の関わりについて論じる。本シンポジウムはアメリカ帝国の先住民及び日系・沖縄系を中心とした発表によって構成されるが、その後の質疑応答ではAAPI/AANHPIの人びとの植民地・戦争体験も含んだ議論が展開できるようにしたい。

シンポジウムC
「ケアのアメリカ史――パンデミック期を経て再考するケア」
 新型コロナウイルス感染症が拡大した時、エッセンシャル・ワーク(必要不可欠な仕事)としてケアの重要性が改めて見直された。エッセンシャル・ワーカーと呼ばれた人たちが誰だったのかを、もう一度考えてみよう。メディアなどで多く取り上げられたのは医療従事者、介護従事者、福祉関係者、公衆衛生関係者などであり、彼らが自分や家族を犠牲にしてまでも献身的に行ったケア労働に対して、人々は賛辞を贈った。
 しかし、パンデミックが長引くにつれて、ケア労働者がその労働の過酷さに見合った報酬や待遇を得ているとは言えず、社会的な保障さえも十分ではないことが明らかになってきた。その理由のひとつに、歴史的に育児や介護、家事などのケアは、無償か低賃金で、主に女性によって担われてきたことがある。ケアはそれに対して報酬が支払われるべき「仕事」ではなく、「女性の領域」とみなされた私的領域において、女性が「自然に」担う役割と位置付けられてきた。女性の社会進出が進み、家庭内のケアが少しずつ外部化され有償化されても、ケア労働の報酬は安価なものに留め置かれてきた。付加価値を追い求める資本主義経済のもとでは、ケアを担う人材は、経済的格差などを利用して、貧困者、移民、人種的マイノリティなどに振り当てられたことが、それを可能にしたのである。
 他方で、ケアをされる側としてまず想定されるのは、子ども、高齢者、病人、障害者などの、社会的に周縁化された人々であろう。しかしよく考えてみれば、我々は誰もが、たとえ自分の身の回りの面倒は自分でみることができる若く健康な成人であったとしても、日常生活を送るためには常に誰かにケアされている。それゆえ、保育や教育に携わる人、公共交通機関や運輸・物流に携わる人、公共の場の清掃やごみ収集に携わる人が行うエッセンシャル・ワークもまた、広い意味でのケアなのである。つまりこの社会では、ケアは誰かが行わなければならず、実際常に誰かが行っている。
 そこで問うべき(だが大抵は問われない)は、「誰が、誰を、なぜ、どのようにケアしているのか、そしてそれを誰が管理しているのか」ということである。本シンポジウムでは、日常において見過ごされがちな、そしてそれゆえに歴史研究においても見落とされがちなケアについて、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、人種などのさまざまな要素が絡み合う社会的・経済的権力関係という視点から再検討する。
 報告の時代、地域、テーマは多岐にわたるが、いずれもケアが社会の変化に深く関わっている時期を描いている。まず松原宏之氏は、ともすると周縁に位置付けられるケアの歴史を、初期共和国の政治史・政治文化史に位置付ける。次に畠山望氏は、革新主義時代の活動団体を事例として、活動家が育つ文化的土壌について考察する。そして西﨑緑氏は、アフリカ系アメリカ人の産婆に焦点を当てて、近代医学と女性の身体や出産の社会的統制について検討する。これらの報告を受けて、医療政策・公衆衛生史に造詣が深い平体由美氏にコメントをしていただく。以上を通して、日常でも歴史的にも見落とされがちなケアの重要性を明らかにするとともに、それをどのように政治的、経済的、文化的に位置付けることができるのかを考察したい。

・事前登録のご案内については7月下旬までに、プログラム完全版については8月下旬までに公開する予定です。
・三連休と重なりますので、航空券や宿泊先の確保など早めに行っていただくことをおすすめいたします。

2023年06月11日

日本歴史学協会による第三の声明への賛同について

日本アメリカ史学会 会員の皆さま

大変お世話になっております。

2023年1月18日に、学会メーリングリストとウェブサイトにおいて、日本学術会議の
声明、および日本歴史学協会、および大学フォーラムによる声明と賛同の呼びかけにつ
いて情報共有をさせて頂きました。

また、3月1日に本学会が所属する日本歴史学協会から運営委員会宛てに連絡を頂きまし
た。1月21日に開催された日本歴史学協会常任委員会での議論を経て、国会での審議日
程を見据えた第二の声明をとりまとめたとのこと、問題の重要性に鑑みて極力多くの学
会会員のみなさまと連名で声明を発出したいとのことでした。締切りまでに会員の皆さ
まの総意を確認させて頂くのは難しいことから、先のメールでお知らせしたとおり、学
会名ではなく日本アメリカ史学会運営委員会として日本歴史学協会とともに3月11日に
声明を発出いたしました。

http://www.nichirekikyo.com/statement/statement20230311.html

このたび、5月1日に日本歴史学協会から運営委員会宛てに再び連絡を頂きました。法案
の今国会への提出は見送られることとなりましたが、今後よりふみこんだ「改革」案が
提出される可能性があり、この問題に関する声明の第三弾を用意したため、賛同する場
合には知らせてほしいとのことでした。今回も締切りまでに会員の皆さまの総意を確認
させて頂くのは難しいことから、学会名ではなく日本アメリカ史学会運営委員会として
日本歴史学協会とともに声明を発出することにいたしました。日本歴史学協会より、ウ
ェブサイトに第三の声明が公開されたとの一報を受けましたので、会員の皆さまにご連
絡申し上げます。

http://www.nichirekikyo.com/statement/statement20230531.html

どうぞよろしくお願いいたします。

2023年6月10日

日本アメリカ史学会運営委員会

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