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2024年06月 アーカイブ

2024年06月18日

第60回例会(7月例会)開催のお知らせ(詳細追記)

日本アメリカ史学会会員のみなさま

日本アメリカ史学会では、「アファーマティブ・アクションの歴史的再検討」をテーマとして、第60回例会(7月例会)を同志社大学烏丸キャンパスにて開催します。本例会は、関西アメリカ史研究会主催の特別セミナー(日本アメリカ史学会共催)としても実施されます。例会終了後は懇親会も開催予定としております。奮ってご参加ください。

なお、例会や懇親会への参加については、準備の都合上、事前登録をお願いしております。下記URLからの事前登録にご協力ください。

https://forms.gle/jFPXogn3BdWywidV6

※また、例会の開催日が祇園祭の期間と重なっており、宿泊施設や交通機関の混雑・高騰が予想されます。どうぞお気をつけください。


テーマ: アファーマティブ・アクションの歴史的再検討
開催形式:対面方式
日時:7月20日(土)14時~17時
場所:同志社大学烏丸キャンパス 志高館SK110教室
https://www.doshisha.ac.jp/information/imadegawa/karasuma_map/index.html
*今出川キャンパスより徒歩数分です。

プログラム
<司会>
藤田怜史(岐阜市立女子短期大学)

<報告>
南川文里(同志社大学)
「歴史としてのアファーマティブ・アクション―「はじまりから終わりまで」の語り方」

吉岡宏祐(徳島大学)
「アファーマティブ・アクション擁護論の内実―企業と大学による議論の分析を中心として」

北美幸(北九州市立大学)
「アファーマティブ・アクションと「割当」―ユダヤ系の視点から」

<コメント>
大森一輝(北海学園大学)


趣旨
 2023年6月29日、ハーバード大学およびノースキャロライナ大学のアファーマティブ・アクション(積極的差別解消策)が、連邦最高裁において違憲と判断された。また同年には、アファーマティブ・アクションについての最初の最高裁判決である「カリフォルニア大学理事会対バッキ」判決(1978年)から45年を経た。この間、アファーマティブ・アクションは平等/不平等をめぐる政治的論点であり続け、また、エスニック・グループ間関係に軋轢を生んできたが、その実施の論拠は、アフリカ系に対する過去の差別の補償から学生集団の「多様性」の維持へと変化し、定着しつつあった。
 日本以上に学歴偏重主義、資格証明書主義の傾向の強いアメリカ合衆国において、高等教育はマイノリティの社会的上昇の階梯として大きな意味をもち、人種や性別、出自によらず能力の高い者が成功を手にできる「平等」な世界を創り出すものとされてきた。しかし、実際には、マイケル・サンデルが『実力も運のうち―能力主義は正義か?』(原題:The Tyranny of Merit: What's Become of the Common Good? London: Penguin Books,2020)で述べたように、ハーバード大学学生の3分の2が所得規模で上位5分の1にあたる家庭の出身であり、出身家庭が高収入であるほどSAT (大学進学適性試験)の得点も高い。結局のところ、大学に入るための能力(学力)自体が、本人の選択や努力・意志による変更の余地のない環境や属性により決定されるという現状がある。また、卒業生の子弟を優遇する「レガシー制度」は、アフリカ系やアジア系の志願者に不利に作用してきた。
 翻って日本では、2018年に複数の私大医学部において、女子学生や多浪の志願者を不利にする入学者選抜がおこなわれてきたことが明るみに出た。また、「親ガチャ」という言葉が瞬く間に広まったように、生まれた家庭によって人生に大きな格差が生じる社会となっている。他方で、東京工業大学や京都大学を含め、国立大学の4割で女子枠を導入または導入する方向での議論がおこなわれている。
 アファーマティブ・アクションは、社会構造に深く根付いた差別をなくすためにはマイノリティとされてきた人々に門戸を開くだけでは不十分であるとの認識に基づいて行われたものであったが、今回、それに対して改めて違憲判決が突きつけられたことは重要な意味を持つだろう。これまでのアファーマティブ・アクションに関する学術研究は規範的・理論的な議論に偏りがちであったが、今回の例会では、その起源や歴史を振り返って検討することで、社会全体を見渡す広い視角からこの問題について考えてみたい。

2024年06月27日

日本アメリカ史学会 第21回年次大会プログラム」

日本アメリカ史学会会員のみなさま

2024年9月14日(土)・15日(日)に開催される日本アメリカ史学会第21回年次大会のプログラムの概要が決まりましたのでお知らせいたします。なお、プログラムは報告タイトルなどで未確定の部分を含んでいます。そのため、今後変更が生じるところがあることをご了承ください。

みなさんのご来場をお待ちしております。


日時 2024年9月14日(土)・15日(日)

会場 明治学院大学白金キャンパス(東京都港区白金台1-2-3)
アクセス https://www.meijigakuin.ac.jp/access/
キャンパスマップ https://www.meijigakuin.ac.jp/campus/shirokane/
連絡先 野口久美子(noguchikアットマークk.meijigakuin.ac.jp)
開催方法 会場での対面方式のみ
※シンポジウムの報告の一部はオンラインによる中継で行われます。

9月14日(土)
幹事会 12:00〜13:00

シンポジウムA 13:30〜17:00
「アメリカの占領と植民地主義を再考する——アジア大陸の両端から」
報告者:
小阪裕城(釧路公立大学)
「「人権」の普遍性を遮断する
——80年代以降のアメリカにおける国際法の学知と反動——」(仮)
藤目ゆき(大阪大学)
「朝鮮戦争下の日本における民間人被害」(仮)
高内悠貴(弘前大学)
「再編される戸籍と家父長制——米統治下沖縄において越境する女性たちの経験から見る日米帝国主義」(仮)
コメンテーター:
佐藤雅哉(愛知県立大学)
上原こずえ(東京外国語大学)

総会 17:15〜18:15
懇親会 18:30〜20:30

9月15日(日)
自由論題報告 9:30〜12:10
(第1報告 9:35-10:10 第2報告 10:15-10:50 第3報告 10:55-11:30 第4報告 11:35-12:10)
加藤智裕(慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート戦略構想センター)
「ケネディ、ジョンソン政権のインド・パキスタン政策——「公平な」アプローチの追求とその挫折——」
目黒志帆美(東北大学)
「ハワイ王国における成文法制定過程の分析——1820年代の売春禁止をめぐる船員・宣教師・ハワイアン支配者」
吉川史恵(一橋大学・院)
「日本人戦争花嫁向け「花嫁学校」に見る1950年代アメリカ合衆国の移民観・ジェンダー観の変化」
宮崎早季(一橋大学・院)
「ハワイと補償要求(リドレス)運動——ハワイ型セトラーコロニアリズムから再考するハワイ日系人史」(仮)

シンポジウムB 13:30〜16:30
「1924年移民法体制を考える」
報告者:
 一政(野村)史織(中央大学)
「ロジカ・シュヴィマーと1924年移民法体制の時代——ナショナリズムと国際主義の相剋」(仮)
戸田山祐(大妻女子大学)
「1924年移民法体制における短期移民労働者」(仮)
廣部泉(明治大学)
「アジア主義とアジア系という意識形成——契機としての1924年移民法——」(仮)
コメンテーター:
 小田悠生(中央大学)

シンポジウムC 13:30〜16:30
「アメリカ史の授業展開の試み——一次史料や映像資料利用の工夫」
報告者:
 鰐淵秀一(明治大学)
 「日本の大学で初期アメリカ史を教えるということ——ひとつの実践例」(仮)
青木深(都留文科大学)
 「『見ればわかる』と『見てもわからない』のあいだ——『大衆文化史』系の授業実践における一次史料や映像資料の活用」
柳澤幾美(名古屋外国語大学他)・岡田泰弘(中部大学)
 「ドキュメンタリー映画『権力を恐れず真実を——米国下院議員 バーバラ・リーの闘い』の日本での上映に関する事例報告」

[シンポジウム趣旨文]
シンポジウムA
「アメリカの占領と植民地主義を再考する——アジア大陸の両端から」
 かつてガヤトリ・C・スピヴァクは、「アポリアを教えること」と題する対談の中で、「アジア大陸」の両端に存在する不条理として西のイスラエルと東の日本を名指しした。スピヴァクは、こうした不条理にアメリカが与える影響を示唆しながら、「幻想的な地図作成法」に縛られたこれら「両端」は、「アジアという特異な大陸の観点から、自分自身を見返」さなくてはならないと説く。本シンポジウムは、主に第二次世界大戦後の両国を念頭におきながら、アメリカがこれらの不条理にどのように関与したのかという問題を、歴史的に検証するために企画された。
 2023年10月以来、イスラエルは、ハマスによるイスラエル領内における攻撃への「報復」と称してガザ地区を攻囲し、空爆や地上侵攻によって数万名もの命を奪っている。また日本は、沖縄に集中的にみられる米軍基地と自衛隊基地の建設強行が象徴するように、自然や地域社会の破壊、国外での武力行使や武器輸出の制限撤廃に邁進し、同時に自国の軍事主義・植民地主義・性差別によって引き起こされた虐殺や日本軍「慰安婦」問題の法的・歴史的な責任を否認する。この二つの不条理に対するアメリカの態度は、まさに「容認」である。イスラエルについては「自衛権」行使支持を即座に表明して虐殺行為を容認し、日本については、戦後も天皇制を残すなど日本の植民地支配責任の否定を支え、また長年にわたる安全保障政策の転換も歓迎する。
 一方、アメリカは人権問題などの「普遍的」な観点からこれらの国家を批判することもある。たとえば、米下院で2007年に可決された日本軍「慰安婦」制度に関する決議を想起してもよい。同決議は、たしかに日本政府に対して「慰安婦」制度に対する責任の認定を求めていた。しかし他方で、この決議は「日米の同盟関係」を「アジア太平洋地域における米国の安全保障利益の礎」と規定し、「地域的安定・繁栄にとって基本的なもの」とも述べていた。日本による度し難い不正義を「批判」するときでさえ、アメリカの軍事的・経済的覇権の維持が確保されていたのである。
 このように、アメリカはイスラエルと日本の植民地主義・軍事占領・性差別を支持すると同時に、「批判」を自国の利害の中に留めていた。イスラエルと日本がアジア大陸を取り囲むように覇権を維持するアメリカを通して深く繋がっているにもかかわらず、アメリカ史において、これらの不正義とアメリカの政策との関係が十分に問い直されたとは言いがいたい。アジア大陸の両端に顕著にあらわれる不条理を前にして、アメリカはイスラエルや日本などの占領や抑圧をいかに容認・育成・共犯してきたのだろうか。また、これらはアメリカ自身がたとえば沖縄を直接的に統治し、施政権返還後も軍事的に利用し続けていることとどのような繫がりがあるのだろうか。このような課題を、アメリカの占領や植民地主義をめぐる歴史にどのように位置づけることができるのか、検証したい。
 なお、本企画は、世界平和の実現にむけた諸条件を研究するために設立され、長年にわってパレスチナ/イスラエル問題や日本の植民地主義、核兵器廃絶などの課題に取り組む明治学院大学国際平和研究所(PRIME)の後援で行われる。本シンポジウムでは、アメリカ史および関連地域の研究者の協力を得て、アメリカの占領や植民地支配、現地国との共犯のもとにすすめられた様々な問題を統合的・俯瞰的にみることを心掛けたい。

シンポジウムB
「1924年移民法体制を考える」
 1924年移民法の制定から、2024年には100年を迎える。この法律が、アメリカ移民史の一時代を画した法律であることは論を俟たない。この法律は、すでに1921年移民法によって導入された、移民の原国籍を基準とする国別割当制度を厳格化し、東欧・南欧からの移民の数を大きく減少させたほか、「帰化不能外国人」とされていたアジア系の移民を排除するものであったことは周知の事実である。 国別割当制度を中心とする同法の基本的な枠組みは1952年移民法にも受け継がれ、1965年に移民法の抜本的な改定が実施されるまで継続した。国別割当制度によって特徴付けられるこの時期の合衆国の移民法および移民政策の体制を、ここでは「1924年移民法体制」と呼ぶ。
 1924年移民法体制のもとでは、合衆国に入国する移民の数はその前後の時期と比べて少数にとどまっていた。一般的には、1924年から1965年までの期間は、19世紀末から1900年代と、1970年代以降という二つの大量移民の時代の狭間とされ、「移民国家」たる合衆国の歴史においては例外的な時期として見なされることもあるのではないか。しかし、この時期に今日まで続く移民政策の基本が成立したことは見逃せない。一例をあげれば、1924年移民法では移民として入国する外国人にビザの所持が求められるようになり、ジョン・トーピーが近現代の世界における移民管理の基本的特徴の一つとする、パスポートとビザによる「移民の遠隔操作」が本格的に実施される契機となった。また、1924年には国境警備隊が設立され、1929年移民法では非正規移民への罰則規定が導入されるなど、移民の統制と国境の管理の歴史を考えるうえでも、1924年移民法体制の時期は重要な画期である。
 もっとも、1924年移民法体制について考察するためには、誰がいかなる理由によって排除されたかのみに焦点を絞るのではなく、さまざまな理由で制限を免れた人々に注目することも必要であろう。たとえば、南北アメリカ諸国からの移民は、合衆国内の労働力需要、外交的配慮、そして送還の容易さなどを理由に、この体制のもとでは一貫して国別割当制度の対象から除外されていた。また、永住と帰化を前提とした移民の受け入れが制限された一方で、第二次世界大戦以降は、近隣諸国や同盟国からの短期移民労働者(ゲストワーカー)の導入が進められたことも、この時期の合衆国の移民政策の特徴として指摘できる。かかる特徴は、1952年移民法が、外国人の入国制限と国外退去の根拠を拡大するとともに、限られた期間滞在する外国人労働者の入国を認めたことに端的に示されている。
 さらに、この間に合衆国と世界の他国との関係が、第二次世界大戦と冷戦によって根本的な変化を遂げ、これが移民政策にも大きな影響を及ぼしたことも無視できない。国際関係の変容を背景に、アジア系移民を排除する方針は修正を迫られ、難民の受け入れが制度化されたことは、1924年移民法体制がかならずしも硬直的なものではなかったことを示すとともに、この体制を最終的には廃止に向かわせた動きとも連動していたといえよう。
 以上の問題関心に基づき、本企画では、合衆国の移民史における1920年代から60年代までの時期の位置付けを再考することを試みる。法律の制定・執行、社会の反応、移民たち自身を含めた諸アクターの主体性など、多様な視点からの実証的分析と問題提起をおこなうことで、1924年移民法体制の特質が明らかにされるであろう。合衆国を含むさまざまな国々で「移民問題」が大きな政治的・社会的イシューとなり、外国人の流入の抑止が支持を集めている現状に鑑みれば、制限的な移民政策が実施された時期を取り上げ、再考する意義も大きいのではないか。このような現状を歴史的に考えるためにも、あらためて1924年移民法体制とその現在まで続く影響について、その前後の時期との連続と断絶の複雑な相に留意したうえで検討することが求められよう。

シンポジウムC
「アメリカ史の授業展開の試み——一次史料や映像資料利用の工夫」
 グローバルに展開するデジタルヒューマニティーズの盛り上がりに見られるように、情報学的な取り組みと人文社会科学の取り組みの融合が各所で取り組まれている。デジタルヒューマニティーズは、文学・メディア・文化・歴史・アーカイブ研究など様々な分野を横断するものであり、アメリカ史研究では史料のデジタル化やデジタルヒストリーの取り組みなどが進むことによって、研究成果の報告の形式も論文だけにとどまるものではない動きも展開している。このような研究の動向に加えて、近年のAIツールの進展によって高等教育機関における学習成果の取り組みとしての課題なども大きな変容が迫られつつある状況にあり、アクティブラーニングやPBLなど学習方法についても従来型の座学とは異なる方法が定着しつつある。しかし一方で、パウロ・フレイレが提唱した「被抑圧者の教育学」は、ベル・フックスが実践しようとした自由と解放をもたらすような教育ではなく、企業が求めるような人材育成のための教育に変容させられようとしている。
 アメリカ史を大学で教える際に映像を用いたり、インターネット、データベースを活用したりすることなどは基本となりつつあるが、どのような方法が効果的であり、またどのように工夫するべきかについて学内FDを除いては、研究者同志が交流する機会は限られているといえよう。
 そのため、本シンポジウムでは、近年の状況を踏まえつつ大学でのアメリカ史教育に関しての取り組みについて具体例を挙げながら一次資料や映像資料利用の工夫について登壇者に共有してもらいながら、各研究者の専門に引きつけながら新しい取り組みについて学ぶ機会としたい。

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